鎌ヶ谷にグリフィーが来た日

Fsタウンにはこんなものがある。

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乗っ取られ鎌ヶ谷』で触れた、ケン・グリフィーJr.の場外ホームラン記念碑だ。
一時故障で力が落ちたものの、現在息を吹き返して再びシンシナティ・レッズの主砲として活躍するメジャーリーガー。
その名前がなんで鎌ヶ谷にあるのか? 

このブログでは当日や近日の日記的な記事が多いのだが、はじめて「おもいで記事」として綴ろう。


話はまだ20世紀・1997年に遡る。
鎌ヶ谷のファイターズタウンはこの年の3月に開場した。
ファームに興味のなかったオレは、となりの市という近所にあるこの施設へシーズン中まったく訪れることなく終わった。

11月16日・日曜。
朝ふと観たテレビはたしかTBSだったと思うが、元ヤクルトのスポーツキャスター・青島健太が司会をする生放送のスポーツ番組。
当時シアトル・マリナーズにいたケン・グリフィーJr.がインタビューを受けていた。
どうも生中継でやりとりをしている。
グリフィーの後ろに見える青いラバーフェンスなどの風景は、どうも日本国内っぽかった。
聞いているうち、グリフィーが立っている場所が鎌スタであることがわかったのだ。

そして、当時寮にいた現・阪神の下柳剛がグリフィーに投げてフリーバッティングを見せるという。
11月の午前中。下柳はスウェットの上下というラフすぎるカッコでグリフィーに投球するが、
いまほどコントロールが安定していなかった上、この時期だ。ストライクが入るわけがない。
打たせようと思って半速球を投げるものの、ビーンボールに近い球も出る始末。
グリフィーは生中継の中で快音を響かせることなく終わった。
その後、グリフィーはNIKE主催の少年野球教室の講師としてこの鎌ヶ谷に来ていて、そのイベントは正午から行うということがわかった。

観に行かない手はない。
車でタウンに行ってみると、「駐車場は招待された人しか入れない」と門前払い。
仕方なくちょっと進んだ先にある造成中の住宅地の道路に路駐し、タウンに入った。
これがオレのFsタウン初訪問だった。

スタンドも整理券がないと入れなかった。
スタンド以外はフリーパスだったので、外野で野球教室の開始を待つ。
寮の前にいた下柳にサインをもらえた。眠そうだった(笑み)

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講師はグリフィーのほかに、下柳、ドジャース・野茂英雄、ベイ・谷繁元信、近鉄・佐野重樹、
高木豊(野球評論家)、立花龍司(ニューヨーク・メッツ退団直後)という豪華な顔ぶれ。

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教室は投手と野手に分かれて行われた。
グリフィーは明るいので常にしゃべって何か言いながら、野茂はボソボソとつぶやきながらの指導だった。
この間、一塁側のブルペンではユニフォーム姿のFs・田吹昭博がパンパンといい音を立てて投球練習をしていた。

指導はあんまり長い時間をかけないで終了。
少年たちの質問タイムも終わり、司会者が締めコメントしたところで鈍感な客はとっとと帰って行った。
んが、オレを含めてわかっている人はちゃんと残った。レフトで観ていたオレは、ライトに移動。

こんなイベント時に田吹が勝手に練習しているわけがない。
期待どおり、しばらくしてから「ケン・グリフィーJr.選手のフリーバッティングを行います」となった。
マウンドに田吹が上がる。
オレがライトに移ったのは、左打ちのグリフィーの場外弾のボールを捕ってやろうという魂胆。

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当時現役選手ながらスタッフとして一軍帯同して打撃投手を務めていた田吹、打たせるのは得意なはずだが、
緊張しているのかシモに続いてまたストライクが入らない。
しかし、意地を見せてストライクが入り出したら、グリフィーもスタンドインを放つようになった。
そのうち防球ネットを越える場外弾が2-3発出た(ボールは近くに落ちずGETできなかった)ところで「それではラスト」のアナウンス。

スタンドインで終わりのつもりが、ラストコール後数球は凡打の連発。田吹も躍起になって投げる。
そしてついに出たラスト一発は、オレのはるか頭上を越えてライト後方の崖の上に落下。
鎌スタが大喝采に包まれ、なんとかプライドを保ってフリーは美しく終了した。
この日最長飛距離。翌日の報道では160m弾とされた。
その落下地点に、あの記念碑が建てられたのだ。

グリフィーはこの97年、自己最高記録の56本塁打を放っていて、翌年同数打って以降はこれ以上打っていない。
グリフィーのいちばんの旬の打撃をナマで、しかも鎌スタで目撃できたのは非常に貴重な体験だった。


写真を見ると、鎌スタのフェンス、スタンドの床、座席なんかがもともとは濃い青だったことがよくわかると思う。
日よけがまったくないから、色あせて当然だ。

あんな豪華メンバーの野球教室がどうしてこの交通不便な鎌ヶ谷の地で行われたのかは未だ謎のままだが、
鎌スタにはこうしてメジャー現役バリバリのグリフィーと野茂がユニフォーム着用で来た伝説が残っているのだ。
なお、当時の日本プロ野球機構のユニフォーム使用制限のルールに乗っ取り、シモ、谷繁、佐野はトレーニングウェアでの参加だった。
逆に田吹がユニフォームだったのがどうしてかもまた謎だ。


(ひみつ情報)
野茂のボソボソ声はマイクも通じなかった。

この記事へのコメント

2007年10月02日 00:35
初めまして。

ブログ「あい ウオッチ baseball!!-敗戦処理。ブログ」を運営している敗戦処理。と申します。

ご挨拶が遅れましたが、当方のブログにてファイターズスタジアムのライトスタンド後方にあるケン・グリフィーJr.の場外本塁打の記念碑について触れた際に、その経緯をご存じない方のために貴ブログの当エントリーにリンクさせていただきました。

私もこの当時はまだファームの試合を観るという習慣はなく、そういうことがあったというのは何かの記事で読んで記憶しているのですが、ここまで詳細に書いて下さったのはこちらが初めてで、感銘を受けました。

私は隣町ではなく、東京の多摩市に住んでいるのでここでの観戦は遠征という感じですが、休日開催にはがんばって足を運ぶようにしています。

お時間がありましたら、URLを記入しておきましたので遊びにいらして下さい。
ひみつ
2007年10月06日 17:13
はじめまして。
トラックバックが嫌いなもんで、それができなかった旨はご了承くださいね。

グリフィー来鎌(笑み)の話、私は現場にいた身ですので他を捜したことはないんですが、あんまり知られていないようですね。

今季は鎌ヶ谷の観戦来場者が史上最多だったようです。
カビーの存在や多彩なイベントが功を奏しています。
2007年10月08日 23:33
コメントにお返事をいただき、ありがとうございました。

> 今季は鎌ヶ谷の観戦来場者が史上最多だったようです。
カビーの存在や多彩なイベントが功を奏しています。

5,200人来場したという鎌スタ☆祭も、4,400人が来場した一軍オープン戦も両方とも足を運びましたが、そのどちらでも方々から「ここの広さは出来た当時の本拠地だった東京ドームに合わせて作ったらしいね」とか、「ライトスタンドの先の方にね、大リーガーのケン・グリフィーJr.が来た時に放った場外本塁打の記念碑があるらしいよ」などと、いかにも初めて鎌ヶ谷に来たと思われる会話が聞こえてきました。

ああいう非日常な鎌ヶ谷を味わった方々が日常の鎌ヶ谷に馴染んでくれるといいですね。さし当たっては13と14に一軍のクライマックスシリーズのパブリックビューイングをするそうなので第三の大入りは必至かなと覚悟しています(苦笑)。

もっともっと多くの人に鎌ヶ谷や二軍戦の面白さに触れて欲しいという半面、あまり盛り上がりすぎて手が届かない距離になってしまってはとも脅えています(笑)。

今後ともよろしくお願いします。